ニートだった日々が教えてくれたこと、究極貧乏が教えてくれたこと
- 2015/09/24
- 07:39
http://uhisoku.blog.fc2.com/blog-entry-676.htmlニートだった日々が教えてくれたこと、究極貧乏が教えてくれたこと

筆者は10代の頃、ニートをしていたことがあります。
ニート時代は、自分とむきあえる絶好の機会。
また、甘えが全力で発揮される時でもあります。
そういう瞬間は意外と人生単位でみると、大事だったな、と思うこともあるのです。
自分自身、ゲームがこんなに好きで、自分にコンプレックスを抱えていて、
変な話、ここまで堕落できるもんなんだな、と思ったものです。
そういう時に危機感を持ってお金や人生のことを学ぼうと思えればよかったのですが、
(実際やってはみるものの、自分一人だけでそこに100%で向かえる人ではなかった)
「楽なほうに逃げがち」ということもわかりました。
その後ようやくバイトをはじめ、社会に復帰できたわけですが、
人に揉まれて刺激されて悔しい思いや恋愛などをしてようやく、自分が大きく成長できるんだと心から実感できたものです。
とにかく親は優しかった。
というより、あれこれと干渉することをあるときからやめた。
だからこそニートができた、ということでもあるでしょう。
そしてこの甘えは、お金の面でもいかんなく発揮されました。
頭の片隅にはいつだってやばくなったらお金を親から借りればいいや」というふざけた発想があったため、
バイトや自分でお金を稼ぐこと自体にもあまり意味を見出せなかったのです。
ただし、これがあるときから通用しなくなってきた、というより自分がようやく情けなく思えてきました。
そして、考え方や行動を改める必要があると心から思えたのは、それこそ全財産が1000円とかになったときです。
むしろカードや携帯代金が未払いでとまってしまったので、借金状態。
誰ももう、助けてくれない。
なんでもいい、仕事をくれ。ただ単純にそう思いました。
そう思えました。
お金がもらえるなら、ちょっとのことで音をあげたりはしないぞ、と。
仕事がある喜び、お金を得ることの喜び、そんな当たり前にようやくありつけたのです。
ニート生活が教えてくれたのは、人と関わることの大切さや喜びと、自分の習性や感性。
究極貧乏が教えてくれたのは、仕事があること、お金を稼ぐことの喜び。お金の大切さ。
文字にするとごく当たり前のことなのですが、そして自分自身もそれが大切なのはわかりきっていたはずなのですが、
本当の意味でそれを噛み締められたのは、その渦中にいたからこそでした。
その瞬間すべてに意味があると思うことがとても大切なので、
モヤモヤを今抱えている人は、その苦悩や違和感と真正面からぶつかってみてください。
まずは現状を疑うこと、変えてみること、とにかくやってみることです。
その先に自分の強みを見つけられたら、それをとことん活かしてやればいいのです。
やりたいことがあるなら、自分の実力がそぐわなくても、恥を捨ててチャレンジすること。
そういうとき、自分の固定概念やプライドがもっとも不必要になります。
今の葛藤は消して無駄じゃないです。
現状を変えたくば、ぜひ、なにかひとつアクションを起こしてみてください。
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